2010年03月05日

山の錬金術師たち-林業再生と京都モデルの その5

山の錬金術師たち-林業再生の課題

この間、このブログでは、林業再生の可能性について考えてきました。今回は、林業の再生と京都モデルの可能性について考えてみたいと思います。

「京都の森林の原風景」とは…。





 これまでは、林業の課題について、特に林業のハードの部分と林業を取り巻く社会的状況について考えてきました。今回のテーマである「林業再生と京都モデル」は、林業の課題を京都市の都市経営の立場から考えてみるためのテーマです。

 都市京都にとって、最大の資産とはなんでしょうか。それは、世界に通用する「観光資源」であるといえます。海外において日本を象徴するものは、巨大都市東京や富士山、芸者からアニメ、秋葉原まで、時代によって変化していると思われます。しかし、時代を越えて世界で通用する「日本」は、「古都京都」金閣寺、銀閣寺、清水寺、嵐山、舞妓、etcではないのでしょうか。仮に、この「京都ブランド」を金額で評価するとすれば、その価格はいくらになるでしょうか。たぶん、その評価は、天文学的な数字になるか、あるいは歴史的価値も含めば、評価不能ということになるでしょう。


 この「古都京都」は、京都固有の財といえます。その財である京都という観光資源の規模は、どのようなものでしょうか。京都市のHPの資料では、年間の観光者数を 平成18年の観光客数 4839万1千人、観光消費総額 6371億円 、1人あたりの平均消費額 1万3166円としています。(2009年、2月、京都市情報館より)

 これらの観光資源のほとんどは、木造建築によって作られています。しかも、その木造建築の観光資源群には、社寺仏閣などの大伽藍だけでなく、市中の個人の町屋建築も含まれているのです。その町屋などの木造建築は、歴史的建造物として保存されるだけでなく、今日も住民たちの生活の場として利用(管理)されており、それらの風情を支えるコミュニティが存在しています。




島原の大門
 
 
 しかしながら、今日これらの観光資源は、多くの問題を抱え込んでいます。第一には、京都観光における観光消費総額は、増加しているのですが、それらの利益の多くが、地元に還元されることなく「域外」に流出していることにあります。たとえば、京都市内の大型宿泊施設の多くが外資であったり、外部資本によって経営されています。また、京都土産などの多くも、その原料まで含めれば、京都産とはいえないものがあります。第二には、木造建築などの観光資源の維持・保存とコミュニティの存続の問題が挙げられます。



 ここは、麩屋町通にある有名な「湯波半」です。この京のゆば屋さんでは、早朝(明け方)から店の人たちが黙々とゆばを作っています。その歴史に満ちた生活風景は、百年変わらず格子窓越しに見られてきたものかもしれません。この風情に満ちた木造建築もいずれ補修や建替えの時機がやってきます。仮にこの建物を建替えるとすれば(勝手にすいません!)木材の材料費は、総工事費の15~20%程度かもしれません。工事費を5000万円と仮定すれば750~1000万円程度かと思われます。「森に何をさせるべきか」…これを北山の杉やヒノキで、あるいは間伐材も利用すれば、京都の森は京都の風景を保存する資源として利活用していけると思います。“京都の森に何をさせるべきか”という身近な森の役割を住民自身が決定していくという「地域社会の戦略」が求められているのかもしれません。(つづく)


  

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2008年12月14日

山の錬金術師たち-林業再生の課題 その4

日本の…「林業再生」の可能性は、どの程度残されているのだろうか。

前回、林業×製造業などの異業種とのビジネスモデルについて書きました。

今回は、林業における労働環境について考えてみようと思います。そして、この後の予定としては、林業の再生と京都モデルの可能性について書いて、このシリーズを終わりたいと考えています。









 周知のように、京都府の林業者は、平成13年度から平成18年度の間に事業所が9.1%減少し、従業者数も19%減少し、林業サービス業従業者数も57.1%減少しています。さらに、この間の木材価格の低迷と近年の住宅着工数の減少によって、林業事業者は、森林の管理費用と人材が不足し、森林の荒廃に対処できなくなってきているのです。また、京都府の土木業者は、国、地方の財政政策見直しによる公共事業の削減のために、事業所が19.4%減少し、従業者数も27%(▼4,090人)減少しており、多くの事業者が経営的危機に陥っているのが現状です。これらの中山間地域では、既存の産業基盤の崩壊ともない、地域集落の自立と存続が危ぶまれています。この地域社会の高齢化と産業構造の崩壊は、集落としてのコミュニティ機能が維持できなくなっているといわなければなりません。これらの社会的課題に対しては、これまでも行政支援による企業の誘致や新規の産業の導入という補助、助成事業がおこなわれてきましたが、地域の高齢化と人口の減少という現状を考えると、地域のコミュニティ機能の低下に有効に機能しているとはいえないかもしれません。

 林業の問題については、特に労働環境について考えてみる必要があるでしょう。









 農業や漁業は、この60年間の間に機械メーカーが努力し、不十分かもしれませんが機械化が進んだといえます。農林水産業という第一次産業の中で、林業労働は最も機械化が遅れているように思います。その原因の一つとして考えられることは、市場規模・労働規模の圧倒的な格差がメーカーの技術開発を遅らせたことにあるといえるでしょう。

 現状における森林の管理は、林道を通して重機を搬入しながら、間伐や下草刈りなどの手入れをしているようです。日本のような急峻な地形が多い場所での森林の管理は、機械化が困難なために、結果的に人的労働(危険な)に頼らざるを得ないのかもしれません。林業者によっては、山一面を大規模に伐採して、木材をすべて運び出すという方法をとっている場合もあります。しかし、森林資源の循環を考えると、それは少し危険な方法であるといえます。

 また、産業構造の問題として考えると、戦後60年間の日本の林業政策は、植林事業による各資材としての木材の生産が柱になってきました。しかし、外材の輸入や集成材の増加によって、当初の政策目標は、日本社会の現状にそぐわないものになってしまいました。ところが、林業においては、いったん始められた植林事業というものを、なかなか軌道修正することができないようです。その結果、林業は産業としての収益の構造を失ってしまったといえます。

 いま林業をめぐる問題は、新たなビジョンを求められています。

 林業の問題は、まさに中山間地域のコミュニティの存在を問うものとなっています。過疎対策や社会保障の問題からは、中山間地域などの過疎地域の住民を都市周辺部に移動(街なか移住)させながら社会資本の集約化や福祉事業の合理化を検討している地方もあります。他方、森林資源の管理や水資源の管理という点からは、政策的な中山間地域のコミュニティの維持の必要性について議論されています。

 いま一度、戦後60年の間に日本の、京都の「森林」から失われたものが何かということを、再検討する時期にあるようです。
 
 その再検討を通して、「林業再生」の問題は、新たなビジョンを構築することができるのだと考えます。

立命館大学大学院先端総合学術研究科

合同会社 地域発展研究センター 大村陽一



  

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2008年12月09日

アラブの黒い血・中国の黒い骨との決別 その3

林業の再生 その3

 前回は、林業再生の課題として、他の産業とのビジネスモデルについて書きました。しかし、この林業再生の問題は、今回の世界的な金融危機の影響によって、現状の問題に加えて、より困難な課題を克服する必要が生じました。それは、世界的な不況の同時進行と、急激な原油価格の低下によって、やっと動き出した森林バイオマス資源の活用に、影響を与える可能性が出てきたことです。

 この森林バイオマスの利活用は、京都議定書による国際的な地球温暖化対策と急激な石油価格の高騰が追い風となって、全国的な展開を見せてきました。このバイオマスの利用には、CO2の削減を新たなビジネスチャンスとして捉えて、多くの企業が参加しています。しかしながら、今日の先行きの見えない景気と急激な原油価格の低下という事態は、地球温暖化対策に取り組もうとする企業経営者のマインドを著しく低下させているようです。

 この京都議定書による地球温暖化対策は、「先進国」がCO2などの温室効果ガスの削減目標を設定し、期限を設けて達成しようとしたものでした。ところが、この世界的な不況、消費の冷え込みによって、これらの削減目標は、不本意な形で達成されるかもしれません。

 地球温暖化対策は、いろいろな意味で正念場を迎えているようです。

 しかし、これら地球温暖化対策には、他方で「化石資源の枯渇」という問題があったと考えています。近代社会は、「化石燃料」の消費と比例するように拡大・成長してきました。その結果「化石燃料」は、単に燃料というだけでなく、先進国にとって極めて重要な政治的・軍事的物資に変容してしまいました。




         これは、湾岸戦争時にイラク軍が放火したクウェートのブルガン油田です。(ウィキペディアより)

 近代において「化石燃料」は、人類に「豊かさ」を与える一方で、資源をめぐる政治的・軍事的緊張を生じさせてきました。中東地域やアフリカ、南アメリカの資源を持つ国は、「化石燃料」が政治的・軍事的物資であるために、その「豊かさ」を享受することができず、資源と引き換えに国内外の政治的・軍事的緊張を引き受けることになったのです。

 「オイルショック」という言葉をご存知でしょうか?

 「オイルショック」とは、1973年10月に第4次中東戦争が始まり、これに対してペルシャ湾岸産油国が同盟を組み、イスラエルを支援する国に対して、原油の輸出禁止と原油生産の削減で対抗したことによる混乱でした。今では笑い話ですが、当時は、石油価格が4倍に高騰したことにより、なぜかトイレットペーパーが街からなくなるということで、消費者が慌ててスーパーに駆け込んだのです。

 この「オイルショック」は、1978年のイラン革命の際にもありました。この二度にわたる「化石燃料」の危機を受けて、日本を含む先進国は、石油の備蓄と非「化石燃料」-原子力・水力・風力・太陽光・森林エネルギーの活用と省エネルギー化に取り組むことになりました。

 じつは、この「オイルショック」を受けて、日本においても森林バイオマスの利用が始まりました。それは、森林資源の利活用に向けた「木質ペレット」などの製造事業でした。1970年代には、国内において28,000トンの「木質ペレット」が生産されていました。ところが、「オイルショック」後の原油価格の低迷を受けて、日本においては石油の備蓄と原子力の活用と省エネルギー化が国のエネルギー政策の柱となっていきました。しかし、この政策は、日本のような資源を持たない国にとって、いわば「化石燃料の独占」と「化石燃料の枯渇」に対抗するための手段であったのかもしれません。

 これらの政策は、「化石燃料」を確保することと、有効に利用することにありました。しかしながら、原子力エネルギーへの転換は、「化石燃料」削減との引き換えに、放射性廃棄物の処理という問題を残すことになりました。

 先に「地球温暖化対策は、いろいろな意味で正念場を迎えているようです。」と書きました。

 「オイルショック」の経験は、「化石燃料」が政治的・軍事的物資であり、さらに世界経済を左右する商品であることを教えてくれました。また、今回の世界的な金融危機は、「化石燃料」だけでなく「希少金属」も金融商品となりうることを知らしめました。さらに、歴史的には、石炭も同じように独占と枯渇の商品である時代がありました。

 私のいう「正念場」とは、「地球温暖化」をめぐる議論が、「化石資源・燃料」の「独占と枯渇」という政治的・経済的・軍事的思惑からではなく、社会活動にとって必要なエネルギーを「再生可能なエネルギー」に代替させていくことの意味を問うものでなければ、35年前のように経済の問題にすり替わってしまう可能性を感じているからです。

 地下に眠る資源は、その地表(国)に住む人間のものとは限りません。それらの地下資源は、その地表の個人が生産したものでも再生産できるものではなく、その所有も利用も人間社会全体で考え、利用すべきものなのです。

 少し大きな話になりましたが、地球温暖化対策は、地球が長い時間をかけて地中にしまってきた炭素などの余剰の?「温室効果ガス」物質を、「豊かさ」や「政治的・経済的目的」のために、無制限に排出し続けることの危険性を訴えているのだということです。

 「アラブの黒い血・中国の黒い骨との決別」とは、私たちが「豊かさの代償に支払うものが何であるのか」ということを問い直すための、キーワードになるかもしれません。



   

 森林バイオマス資源の利活用は、私達の社会の未来を考える上で、極めて重要な「課題」なのです。

 図表出典 資源エネルギー庁資料より

 立命館大学大学院先端総合学術研究科
 合同会社 地域発展研究センター 大村陽一 
  

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2008年11月03日

山の錬金術師たち-林業再生の課題 その2

日本の…「林業再生」の可能性は、どの程度残されているのだろうか。

前回、京都北山の「磨き丸太」のビジネスモデルについて書いてみました。

今、京都市では、北山の森林から丸太材や間伐材を切り出して、森林バイオマス資源として利活用を進めようとしています。

すでに、木材を粉砕した木粉を畜産事業に向けた商品として提供し、牛舎の床材として利用してもらう事業が始まりました。それは、牛フンと木粉を発行させてたい肥として、近隣の農家に利用してもらい、稲作後の藁を牛のえさとして提供してもらうというリサイクル事業です。

これは、林業×酪農=ニュービジネスとなっているようです。





以前に三重県の科学技術振興センターにお伺いしたことがあります。もちろん、あの有名な松阪牛の生産地だからです。





この三重県においても畜産業の経営は、なかなか難しい状況にあるようです。牛肉の自由化以降は、小規模の畜産業者を中心に廃業が相次いだそうです。

その結果、畜産業者の淘汰が進み、このセンターの設備のような大規模化の事業資金を用意できた畜産業者が生き残っているのが現状のようです。九州農林漁業金融公庫熊本支店の平成19年の調査では、畜産業者が多い九州地域の飼料用輸入穀物の高騰による事業への影響について次のように報告しています。前年度と比較して収入は、増加したが28.6%、減少したが45.2%、変わらないが26.2%であった。また所得(利益)は、増加したが15.4%、減少したが66.8%、変わらないが17.8%であった。次に資金繰りでは、楽になったが4.4%、苦しくなった66.1%、変わらないが29.5%であった。

このように、畜産業者の多い九州地方では、明らかに事業の停滞が顕著であり、今後これらの事業の見直しや、更なる生産コストの削減が急務となっているのです。

これらのことから、衰退する林業と低迷する畜産業によるビジネスモデルは、双方のビジネスの活性化には結びつかないのかもしれない。





林業×サービス業

林業×製造業(エネルギー)

今後の京都の北山などの林業・地域の活性化は、より市場性の高い産業との組み合わせが条件になっていくと考えられます。

次回に続く。2008.11.3
  

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2008年10月11日

山の錬金術師たち-林業再生の課題

日本の…「林業再生」の可能性は、どの程度残されているのだろうか。ICON48




滋賀県では、「嘉田由紀子知事は19日、最大債権者の農林漁業金融公庫への債務の返済方法について、県が公社のすべての債務を肩代わりする免責的債務引き受けを実現可能な案として、公庫や総務省と調整していることを明らかにした。…免責的債務引き受けによる返済額や期間は約40年で690億円を返済するとした重畳的債務引き受けとほぼ同内容になる見込み。」(産経ニュース2008.8.20 03:05)という苦渋の決断をした。

京都においても林業をめぐる状況は、大きく変わらない。農×林×水産=産業が崩壊している。これらの産業に従事している事業者の多くは、仕事を自身の子供に継がせたいと考えていない。

その国内林業において京都の北山地域は、「磨き丸太」という特産品でようやく息を繋いできた。しかし、木材価格は低迷し、住宅建築の不振や従業者の高齢化などにより、この北山の「磨き丸太」も林産加工品としての優位性が、失われつつあるようだ。すでに北山地域の丸太の出荷量は、年々減少しており「生業」-「職業」としての下限を超えているかもしれない。

それでも、北山地域の「磨き丸太」というビジネスモデルは、わずかな可能性を残しているかもしれない。





「磨き丸太」という錬金術!この製造業は、どのようにして利益を上げてきたのだろうか。以前建築業界では、「京の磨き丸太」はブランド品であった。価格は1本数万円から数十万円の高価な商品であった。実態と即していないかもしれないが、私が考えるそのビジネスモデルは、仮に1本1万円前後の丸太を林業者から買取り、樹皮をはぎ、職人が1本づつ手で磨きをかけることで数倍から数十倍の価格の商品にすることで、利益を上げたのだと考えている。それは、まさにブランド商法であったように思う。

このブランド商法というビジネスモデルがあったからこそ、京都の北山は、生き残ってこれたのだといえる。しかし、そのブランド商法も、今日の生活スタイルの変化の中で、消費者の嗜好には適さないものになってきた。たぶん!それは日本の近代建築が造ってきた「和-風」や「洋-風」という、日本の近代建築の化けの皮がはがされたのである。つまりは、「和」などと呼べないような小さな床の間のある部屋が、「日本的」な生活空間であるというような「冗談」のような幻想が、ただ崩れ去っただけのこと。

今また「山の錬金術師たち」が動き出した。

続く!10/11




  

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2008年08月29日

赤塚不二夫を追悼する!天才バカボン、ちび太、これでいいのだ!






 戦後の漫画家に、引揚者が(外地生まれの)多くいたことは、偶然ではないだろう。彼らの作品の創造性は、戦後東アジアの数百万の難民が受けた、国境を越えた「居住と生」の苦痛の結果であったかもしれない。

満州の漫画家たちと奉天市

 漫画家の赤塚不二夫 の父親は、満州熱河省(中国河北省)承徳市から70キロほど離れた古北口などの国境地域を転々とする国境警備隊の特務警察官(憲兵)であった。その後、赤塚が満州で敗戦を迎えたのは、奉天市(現在の中国の瀋陽市)であった。赤塚の父親は、敗戦の直前に奉天市鉄西区の消防分署長になり、家族とともに鉄西区の官舎に住むことになった。また、同じ世代のマンガ家で「あしたのジョー」「のたり松太郎」などを描いた、ちばてつや も同じように奉天市で敗戦を迎えた。赤塚もちばも同じ頃に奉天市にいて、二人は直接の面識がなかったが同じ鉄西区に住んでいた。ちばの父親は、新大陸印刷に勤めていた。一家は鉄西区の社宅に住んでいたという。社宅には日本人ばかりが住んでいたと、ちばは記憶している。
 奉天や大連を建設した満鉄は、植民地経営のための特殊法人(株式会社であるが)であることで、政府からの干渉をある程度回避しながら、先進的な開発を自力で実現することができたのである。
 奉天(瀋陽)は、清朝が北京に遷都する以前の都であったことから、城壁に囲まれた都市であった。その後、奉天市は1896年の東清鉄道建設によって、日露の権益が争われるところとなった。明治38年(1905)のポーツマス条約が結ばれたことで、奉天市は満鉄会社設立とともに交通と経済の要衝となって、日本人入植者を増やしていった。しかし、都市の発展は、旧城内から附属地に住宅商業用地を拡大し、鉄道を越えて西(鉄西区)に工業用地を確保しなければならなくなった。鉄西工業地区の開発は、奉天市が政治都市から工業都市となっていったことを示している。そのために奉天市の人口は、明治40年(1908)において日本人1,846人であったが、大正14年(1925)に日本人と「中国人」を含め40万人を越えるという急激な増加であった。
「大正十四年に於ける支那街居住者は二十七萬人と称せられたが、翌年三月には瀋陽縣第九区外一部を併合して人口十三萬人余を増加することとなり、異常なる發展を示した。」 (北村正光 1977 p603)
 このように奉天市は、満州の中心的は工業都市として、「内国人」「朝鮮人」「ロシア人」などが共生する国際都市の様相を呈していた。そして、二人の漫画家の家族たちが住むことになった奉天市は、圧倒的多数の他者と少数の支配者という「居住空間」が形成されていったのである。赤塚の父親は、開発された工業地区である鉄西区の消防署長として赴任し、ちばの父親も同じ鉄西区の新大陸印刷の従業員であった。この開発は、内地の工業地域よりもはるかに計画的に展開されていたのである。
後藤新平が述べたように、奉天市の開発は、附属地内のアスファルト舗装道路、上下水道(内地でも多くが未整備な状況で)、教育、医療、工業用地という最新のインフラを用意して開発を進めたのである。
満鉄の附属地は、基本的に貸地であり借地権の譲渡、転貸、質入を許可しないという方針を採っている。(満鉄は、後に借地権の一部の譲渡を認める。)その附属地の利用は、日本人だけでなく「中国人」「外国人」にも貸し出して、私的所有による土地売買の利得を認めず、土地利用を優先していたことを示している。
このように満鉄の植民地経営は、近代においても極めて実験的な都市経営(内地よりも早い時期に都市計画を立案) を導入しており、今後の研究課題として興味深いものがある。満鉄は所有権を個人に与えることは無かったのである。つまり植民者は、最初から土地利用と所有の関係が分離されていて、現実的には巨大な満鉄の植民従事者であった。
そのことによって植民者は、土地利用にとって理想的な、土地の取得にかかわる負担が軽減されている状況と、圧倒的な他者との共生という、特殊な「居住」の二重構造をもつことになったのである。
しかし、満鉄附属地などの都市部と満蒙開拓団のように農業を中心とする地域の入植地とでは、状況が大きく異なっていたことも、考慮されなければならないだろう。赤塚やちば達のような多くの満州からの引揚者の持つ心情の複雑さは、支配者と被支配者の苦痛を同時に受けたことによると考える。そこでは、日本国内で敗戦を迎えた者とは比較にならないほどの強烈な権威の逆転による国家の堕落を記憶してしまったのである。
しかしながら、このような状況の中で満州(奉天などの都市部)からの引揚者に漫画家を志すものが多くいたことは、単なる偶然ではないのかもしれない。引揚者の持つ心情の複雑さは、支配者と被支配者の苦痛を同時に受けたことに加えて、土地支配による独占が排除されていたこと、圧倒的な他者との共生による、ある種の「ハイブリッドな空間」にいたという記憶が、マンガのもつ世界観と共通する何かを与えたのかもしれない。それは、引揚者の持つ、廃墟を潜り抜けてきた者だけが知ることのできた「もの」「こと」のもつ無意味さと「戦争と国家の堕落」への批判的心情が、彼らをマンガの身振りの世界(自由で気ままな空間―に生きること)に向かわせたのかもしれない。
この奉天市の二人の幼い漫画家は、他者との共生と国家の堕落という記憶を、どのようにマンガの世界へと結びつけていったのだろうか。

赤塚不二夫は云う、「支配者から侵略者への転落」「幼い妹の死と引揚者の悲哀、そして国家の堕落」!それでも人は生きていく、「これでいいのだ!」

8.28.2008合同会社 地域発展研究センター 立命館大学大学院先端総合学術研究科 大村陽一  

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2008年08月19日

京都だけの福祉クーポン券は可能か

 愛知県では、特別養護老人ホームの待機者が9684人もいるそうです。
「県内の特別養護老人ホームの待機者は9684人で、調査を開始した02年度以降の最高を更新したことが、県高齢福祉課の調査で分かった。このうち、中等度以上の介護を要する要介護3から5の人も6207人と最高を更新し、介護を必要として入所を申し込みながら、待機せざるを得ない状況が浮き彫りにされている。
 介護保険事業の支援計画などを定める県高齢者保健福祉計画の策定のため、調査は02年度から3年ごとに実施している。今回は県内の全特養ホーム203施設を対象に調査し、187施設が回答した。
 今年4月1日時点で1年以内の入所を希望しているのは▽要介護5(最重度の介護を要する状態)=1503人▽同4(重度)=2143人▽同3(中等度)=2561人▽同2(軽度)=2088人▽同1(部分的)=1389人――で、全体で05年度の8648人を上回った。
 待機者のうち、要介護3~5の人の占める割合は64・1%で、02年度の55・9%、05年度の62・2%と年々増えており、厳しい状況がうかがえる。」(毎日新聞8/13/2008)

 これは、愛知だけではなく全国共通の問題のようです。京都や滋賀の特別養護老人ホームやデイケアセンターでも、同じように待機する人がおられます。これらの高齢者を介護する施設は、全国的に不足しているようです。しかし、それ以上に問題なのは、これらの施設を維持、運営することの難しさにあります 。















 
 
 これらの施設の施設を必要とする高齢者は、年々増加しています。介護施設の需要は、今後もさらに増加すると考えられています。けれども、その施設の運営のための財源は、税金だけで満たすことができず、今後も利用者負担の増加が避けられない状況にあるようです。介護保険だけでは、その需要を満たしていくことができません。そこで、偉い人や眉間のしわの深い人たちは、何やら「フクシモクテキゼイ」や「ショウヒゼイ」とか困ったときの印籠のように、相変わらずの議論をしています。
 国民の納税という器には、もう何も残っていない様な気がします。それは、個人の財布にお金がないICON47ということだけではありません。勝手な感想としては、個人の財布からお金を出す理由がなくなってきていると考えているのです。税の公共性は、近代社会を構成する上で重要な働きをしてきました。たとえば…本当にたとえばですが、私が働いた稼ぎから税金として国に納めるお金を、国に納めるための経費を節減するために「誰それに直接払え」となったらどうでしょう?「これは、あなたの生活保護のために支払いますが、本当に働けないのですか?」と思わず問いかけてしまうでしょう。あるいは、「○○政党の××議員に政策費用として払ってください」ということになれば、議員さんが何をしようとするのか、徹底的に問い詰めることになるでしょう。年金は?医療費は?などなど!私たちは、公共という「匿名性」によって心静かに生きることができているのかもしれません。
 私が「器に何もない」というのは、公共の「匿名性」に限界が来ているのではないかということを懸念しています。誰のお金だか分らないから「年金」は使いたい放題だし、不便な「道路」も作り放題になってしまうようです。先程の話に戻れば、この特別養護施設なども、「税金」で賄えないから新しい税、それができないから個人の負担を増すこともやむを得ない…という議論になってしまうようです。
 「本当にそれだけでいいのですか?」ICON49
公共という匿名性と個人という関係は、見直す必要があるかもしれません。公共と個人の間を埋める新しい価値観が必要な時期に来ているかもしれません。つまり、社会福祉に対して、国だけでなく、個人だけでなく、第三の係わりが必要になっているような気がします。ヨーロッパ、特に北欧という地域は、スウェーデンの人口が約1000万人、フィンランドが約600万人など、高額な税と社会福祉という関係が成立しています。しかし、これらの国は、大阪府や大阪市だけ、あるいは大阪を除く京都府と兵庫県などの近畿圏の人口を足した程度の人口なのです。いわば、大阪人が、関西人が、なんだかんだといっても、どこかで誰かと面識があるような状況だと思うのです。それらの国は、ある程度の事情が互いに理解できる範囲の合意ができる大きさなのだと考えるわけです。だから、社会福祉という問題は、無茶苦茶高い税金でも、いずれわが身の問題だということを認識できるのです。
 いま地域の活性化という問題は、地域に利益を誘導することだけでなく、その利益をどこに渡していくのかということを問われているように思います。当研究センターでは、地域における企業をサポートするだけでなく、「地域限定の福祉クーポン」の可能性を研究しようとしています。その地域に必要な福祉の財源やサービスを、地域の商品を購入することによって、地域福祉クーポン券として賄うことができないだろうか…ということです。それは、この地域の商品を購入することで、地域に「巡回診療車」が購入できるとか、ただ地域の中で利益が循環するという地域通貨やどこの教育設備か特定できない○〇マークなどと異なる地域政策として合意を形成していくことができないだろうかということにあります。イギリスのかつての首相が言った「第三の道」ではありません。我々の思いは、「匿名性」と「個人」の間を埋める「第三の顔」ということにあります。

合同会社 地域発展研究センター 立命館大学大学院 先端総合学術研究科 大村陽一 
  

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2008年07月26日

京都市が再建団体に?

このままでは、京都市が2011(地デジか?)再建団体に!

京都新聞

「京都市は23日、来年度から2011年度までの3年間に総額964億円の財源不足が生じるとの財政見通しを明らかにした。地方交付税が削減されるうえ、福祉分野の支出や借金返済など義務的経費が増えるためで、事実上の「財政非常事態宣言」となる。行財政改革を断行しなければ、11年度にも国の管理下で財政再建に当たる「財政再生団体」に陥る可能性もあるとしている。」

京都市はなぜ再建団体に陥るのだろうか。京都市の地下鉄事業費や医療・福祉など、避けて通れない歳出は、際限なく膨張しています。一方、京都市の歳入は、西陣織りや友禅などの地場繊維産業の不振が大きく、限られた地理条件(内陸)のなかでは、新規産業の誘致も進まないようです。京都市中心部の通りには、いたるところで「テナント募集」の看板が目に入ります。しかしながら、これは「京都市に限ったことでもないだろう…」と思われています。

確かにICON49日本国内の景気は、東京や東海地域などのグローバルなビジネスチャンスに恵まれた地域と、慢性的な財政赤字+人口減少+高齢化などのグローバル化の「負の遺産」を負担する地域において、明らかに地域間の格差が見られます。

しかし・・・、しかしです。

一人のベンチャー起業家として苦言を呈すれば、何か変だと思われます。

実は→私!本日(7/25)、気分転換に三条大橋の河原で夕涼みをしていました。そこでは、河原で松明を使ったダンス(松明ではないと思いますが・・・?)やピアノの演奏と歌など、いろいろなパフォーマンスを披露していました。しかも、コンパ流れの学生や観光客や泥酔したオヤジなどなど、河原には、涼やかな風に誘われた酔客たちがあふれていました。

このような風景からは、「再建団体」というような【イメージ】を感じることができませんでした。

やっぱり何かおかしい!

勝手にですが、京都市を一般企業に置き換えてみましょう。

百年以上も続く京都株式会社(老舗企業)は、伝統を重んじた堅実な経営を続けてきたにもかかわらず、グローバル化の波に飲み込まれて、一気に赤字経営に追い込まれました。

京都株式会社の経営陣は、他の企業と同様に、赤字の原因を「先代の採算を度返しした投資」や「過剰な雇用」や「社員の高齢化」に原因があると判断しました。早速、経営陣は会社の「過剰な投資」をストップし、「過剰な社員」を削減し、さらに「高齢者の社員」の早期退職の募集を始めたのです。

しかし、それでも京都株式会社の赤字傾向は、収まることがありませんでした。

京都株式会社の経営陣は、会社の負の遺産や経営体質、また社員に問題があると判断するようになりました。「弊社は倒産の危機にある」 これが合言葉になり、経営陣は効率的な経営を目指すことになったのです。

近年では、隣接の大企業も同じように「効率的な経営」という改革を始めていたのですが、社内の対立や従来の取引先との取引慣行などが障害となり、改革は思うに任せない状況にありました。

今まで意見を控えてきた地元の企業は、ついに経営難に陥る京都株式会社に対して声をあげました。

「京都株式会社は、価値ある資産を活用していないのではないか!」「京都株式会社は、有能な社員を見落としているのではないか!」「京都株式会社は、他社との違いが見えていないのではないか!」などなど、いろいろな意見が飛び交うことになりました。

京都株式会社には、先代、先々代から受け継いだ資産価値の高い絵画や骨董品が溢れていました。さらに、京都株式会社には、他社にはいないユニークな社員が大勢いたのです。

まずは、鴨川くんです。かれは、昔「京の暴れん坊」というの異名をもっていましたが、年を重ねて穏やかになり「癒しの鴨川くん」と呼ばれるまでになりました。かれは、大手企業の中にありながら、若手からOBにまで慕われる存在で、若手の「ドンチャン騒ぎ」も、仕事に疲れた中堅社員の悩みも、また退職者たちにも優しく接することができる、懐の深い人間です。彼ほど有名で有望な社員は、いないと思われます。他社の社員では、有名な淀川くんがいます。しかし彼の性格は、一見穏やかそうに見えるのですが、腹に一物を抱えており、「胡散臭さ」が鼻についてしまいます。また、地方の会社には、四万十くんがいます。彼は、清廉潔白で「すがすがしい」人間なんですが、残念ながら都会には向かない性格だといわれています。このように鴨川くんは、他社の同じ担当者と比べても、引けをとらない有能な社員だといえます。しかも、彼は海外のゲストにも受けがいいようです。

鴨川くんの性格は、大きなプロジェクトにはむいていないかもしれません。しかし、彼は頭からつま先まで季節にあわせたTPOを実践できるダンディズムをもっています。京都株式会社の経営陣は、彼の能力を十分に理解していないように思われます。彼は、いつも身近にいすぎて、その力量が理解されていないのです。他社から見れば、身近なプロジェクトに長けた、うらやむような社員だと思われているはずです。

ただ、若い同僚たちは、彼の穏やかな性格につけこんで「騒ぎ」を持ち込んだり、ごみの始末をさせたりという、無礼なことをしていますが、いつか物事の分別がつくようになれば、彼のことを懐かしんで彼の元に帰ってくることになるでしょう。

京都株式会社の経営陣は、赤字の原因を他社と同じように考えているのかも知れませんが、先日倒産した北海道の企業からすれば、「御社は十分な資産と有能な社員を抱えているのに、同じ次元で語らないでほしい!」と「つっこみ」を入れられるような気がします。

たまたま、鴨川くんとあったら、火祭りイベントやミニコンサートをやっていて、若い社員と海外のゲストが大いに盛り上がっていたので、ついこんなことを書いてしまいました。こんな光景を他の会社では、見たことがないので・・・彼を見直してしまいました。

「ええやつや」!ほんまに。

合同会社 地域発展研究センター 大村陽一   

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2008年07月09日

京kamabokoイタリアーナをさらに進化させたい!

イタリアのベネチアには、バッカラ・アッラ・ヴィチェンティーナ baccala alla vicentina o baccala alla Vicenzina(こんな表現も?)
という伝統料理があります。この料理は、干鱈をオリーブオイルとミルクで煮込むもので、干鱈を数日かけて水で戻すなど、手間がかかるためか京都のイタリア料理店でも食べさせてくれるところが少ないようです。しかし、私のように厄介な人間は、たまにですが!、無性にこの料理が食べたくなる時があって、行きつけの店で、シェフに無理を言って作ってもらうことがあります。

烏丸通押小路西入る「サルティンバンコ」

それほどうまいのかと問われると、「ウーン」と答えるしかないのですが、学部時代にベネチア史(ヴェネチアの袋小路学と勝手に命名)の研究をしたことなどの、懐かしさもあり、ついつい食べたくなるのです。
以下は作り方の一例です。!(伝統料理なのでレシピはいろいろあります。)
1.干鱈を2日間水に浸しもどしておく。
2.皮と骨をはずし、角切りにして小麦粉を少しまぶす。
3.オリーブオイルで炒めて、牛乳、アンチョビー、ケッパーを加え、弱火で約1時間煮る。
4.冷ましてフードプロセッサーにかける。塩、コショウする。
5.フランスパンを薄く切り、オーブンで焼く。鱈のペーストを上にのせる。
以前、東京でこの料理を食べたときに、フランスパンの代わりに「はんぺん」が使われていたように記憶しています。この組み合わせが妙に記憶に残っていて、京都の棒だらの料理法と京kamabokoイタリアーナの技術で、何か面白いものができないかと、考えているところです。

地域おこしは、祇園から!いつもお世話になっている(有)大栄商店さんの親父さんです。

合同会社 地域発展研究センター 大村陽一 立命館大学大学院先端総合学術研究科

  

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2008年07月08日

地域おこしは、祇園から!ワインのための京かまぼこ発売!





















 地域おこしは、祇園から!ということで、ワインのための京都かまぼこを作っていただきました。face05「頑固な京職人」は、いざとなったらいろいろな技を見せてくれました。これまでは、インターネットだけで紹介してきたのですが、いよいよ祇園のワイン販売店で売り出して頂けるようになりました。やっと量産のめどがついたので、一袋2個入りで、350円で販売しますよ!バジルとチーズ(ちゃんとイタリアのチーズが入っています)とポルチーニ(イタリアのキノコです)の3種類で販売を開始致しました。お店の場所は、縄手通りの新橋通りを上がったワインハウス【ピカソ祇園店】(PM5:00から営業℡075-525-6050)です。この次は、マスタードのきいたシリーズも考えています。
以下は、京kamabokoイタリアーナのお話です。
 これまでの京都の伝統産業の一つである京かまぼこは、江戸時代中期頃からあったと考えられています。それ以前には、平安時代の終わりに「蒲鉾」の名前があったことが記録されています。これは、蒲の穂に似せて魚のすり身を竹などにすりつけて焼いたことから、「かまぼこ」の名がつけられたということです。しかし、その「かまぼこ」が細工(飾り)かまぼこになるのは、京都料理の文化が町衆のものとなって以降のものなのです。
 これら「京職人の技」は、今日においても色あせることなく、様々な形で受け継がれています。今回の商品は、イタリア料理の各種の素材と上質な魚のすり身を京職人の手仕事で、一枚一枚仕上げました。しかし、それらは「伝統的」な技法を使いながらも、「伝統」の枠にとどまるのではなく、常にお客を満足させるために、努力し、進化し続けています。それが、「京職人の技」なのです。この商品は、江戸慶応年間より創業する、京都市上京区の(有)大栄商店の四代目森本英明さんと五代目英義さんの丁寧な手仕事により製造されました。 
 合同会社地域発展研究センターが地域社会の再生のために「京かまぼこ」を取り上げたのは、京都の伝統産業というものが千年以上にわたり、この地域に残されてきたという社会的価値に注目しているからです。海から離れた京都では、新鮮な蛋白源を得ることが難しく、長時間の運搬に耐える素材の保存技術と、さらにそれらを利用する加工技術が発達しました。今日のように冷凍技術や輸送手段の近代化の中で「京かまぼこ」は、地域資源としての価値を失いつつありました。しかし、この地域に根ざした技術は、より多くの利用の可能性を残しています。今日、世界的な水産資源の乱獲や枯渇によって、地域社会は破壊されようとしています。アフリカ、ビクトリア湖のナイルパーチは、その事例として上げることができます。ある特定の魚種を導入することや特定の魚種を乱獲することによる自然破壊が、地域社会の存立を危うくするという明確なメッセージであるといえます。この「京かまぼこ」の伝統的技術には、限られた資源(多様な魚種)をよりよく保存し、かつ美的で魅力ある商品に仕上げてきたという「人・業(技)・物」が存在します。これら千年の時間をかけて育てられた「伝統」には、地域社会を再生するための多くのキーワードが隠されているのです。この技術資源を再生・保存することは、京都地域の発展だけでなく、世界的な事業として成功する可能性を持っているのです。

ここまでは、オフィシャルなお話。やっぱり「美味しい」と言ってもらうことが一番です!ICON59

  

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2008年06月28日

過疎集落の現状と課題とは?

 2008年6月20日に「過疎集落の現状と課題に係る講演会」に参加してきました。会議では、南丹市と宮津市の過疎集落対策と過疎地の教育についての報告があり、さらに島根県隠岐郡海士町の地域活性化事業に取り組む町役場と島民の状況について、興味深いお話を聞くことができました。
 この講演会では、京都府内の地域の活性化事業について、最初に南丹市の美山町における限界集落(過疎化)の状況と環境保全と産業振興などの地域の活性化の取り組みについて、南丹市の担当者からの報告がありました。地域集落の高齢化は、想像以上に深刻でした。face07また、宮津市では、地域の児童や生徒数の減少により、小中学校の統廃合が現実的な問題となっており、地域社会における「教育の維持」に関する対策が急がれています。ICON146
 地域発展研究センターでは、昨年度に京都府綾部市の限界集落について、現地調査をしました。しかし、時間の都合で限界集落の中まで入ることができなかったのですが、限界集落につながる道路状況について調査することができました。当初、綾部や美山地域の限界集落については、他府県の山間部の集落というようなイメージでとらえていました。それは、集落と集落をつなぐ道路などが整備されず、都市部への連絡道路も、公共交通機関も未整備な状況ではないかと勝手な想像をしていました。綾部市中心部から25キロ以上離れた五つの集落(市茅野、大唐内、栃、古屋、市志)を含む奥上林・中上林地域が高齢化率60%以上の地域であり、限界集落に近づきつつあるとされ、地域振興政策(水源の里条例)が施行されていました。しかし、現地での状況は、想像とは相反するものでした。この綾部市の上林地区は、同市中心部から京都府道1号線で結ばれています。その道路は、片側1車線ですが道幅(2車線で8mぐらい)が広く、歩道も整備されているものでした。京阪神地区のライダーたちには、かなり整備された道路で、かつ交通量も少なく、恰好のツーリング道路として有名になっているようです。
 私たちの疑問は、道路などの社会資本が整備されながら「なぜ限界集落に!」という極めて単純なものです。もちろん、この整備された道路から集落に連絡する数キロの道路は、未整備なものかもしれません。しかし、単純に!道路に投資された資本からすれば、過疎化対策に費やされる社会資本は、僅かなものでしかないだろうと想像されます。部外者の失礼な意見として許して頂ければ、この文脈を言い換えれば「これだけの資本を投下しても過疎化が防げなかったのではないのでしょうか」ということもいえるかもしれません。地域の方や行政の担当者の方には、大変失礼な言い方になったかもしれませんが、お許し下さい。けれども、この問題のあたりに、地域活性化の今日的な課題が見え隠れするよう気がしています。
 たとえば、過疎化対策事業としての「Iターン」を考えれば、都市部の退職者や田舎暮らしにあこがれる家族、さらに乱暴な意見では「ニート対策」として若者の移住など、いろいろな意見が出されています。しかし、先の「言い換え」で読み替えれば、「Iターン」制度は、地域で長年働き、暮らしてきた生活者としてのプロでさえ、付近の社会資本が整備されても集落が維持できなかった地域に、「素人」の住民を増やそうとしている制度・・・といえるかもしれません。そもそも、少子高齢化社会では、全ての「ふるさと」を残そうとすること事態が、幻想なのかもしれません。
 その意味で、島根県隠岐郡海士町の地域活性化事業は、有効であるように思いました。それは、小さな島であるために、限られた地域資源(人・業・物)をつなぎ合わせて、都市部との情報を交換しながら(獲得しながら)、都市部での消費を開拓しようとするものでした。詳しいことは、海士町のHPで確認いただくとして、当研究センターが関心を持つことは、第一に、島民や行政職員が地域の衰退と財政危機に直面して、地域資源(人・業・物)の再生や行政経費の削減を、いわば下から積み上げていくという合意形成がなされたこと、第二に、地域活性化のリーダーを地域内に限定せず「若者・よそ者・バカ者」を受け入れていったこと、第三に、地域の内部に問題の解決を求めるのではなく、地域外のニーズを把握し、外部との交流を通して活性化しようとしたことにありました。しかし、この海士町の事例は、「すべての地域で利活用可能なもの」ではないでしょう。第一では、海士町の人口(昭和25年約7000人→平成17年2581人)が限られていて、島民の意思の疎通が容易であったと考えられ、第二では、有力者・責任者のトップダウンも可能であったこと、第三では、「島」というイメージが有効に機能したことも考えられます。しかし、この事例は、地域の状況ごとに組み込み可能な政策が、示唆されているかもしれません。
「何もない!、だからイノベーションが始まる」
 都市への集中と地方(地域)の過疎化は止まらない(否!加速する)と思われます。地域社会の活性化事業は、社会的課題を克服するような、地域の事情に応じたプロジェクトである必要があるようです。その意味で、当研究センターでは、さらに地域に根差したプロジェクトを提案していきたいと思います。

http://www.oki-ama.net/

合同会社 地域発展研究センター 大村陽一 立命館大学大学院先端総合学術研究科


















  

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2008年04月28日

京都の間伐材の資源化とエネルギーの地産地消の行方?


今や、地球の温暖化防止が急務の課題となっており、本年度の洞爺湖サミットの主要な議題になろうとしています。地域発展研究センターでは、京都市右京区の京北地域で「北山杉」の間伐材や磨き丸太の製造時に排出される樹皮を利活用して、森林資源をエネルギー化する事業に取り組んでいます。この北山のエネルギーの地産地消事業は、間伐や下草の手入れなどの森林の整備に必要な人的資源の開発と森林資源を利活用した木質燃料の開発を展開しようとするものです。現在、木質燃料の開発事業は、世界的な石油価格の高騰を受けて、全国の林業関係者や新規参入企業によって、具体的な事業が展開されています。現状において、森林資源の利活用として広範に進められている事業は、間伐材などの丸太をチップ化して企業に燃料として供給する事業と木質ペレットを製造して事業所や一般家庭向けの燃料を供給する事業に分けられます。さらに、次世代事業としては、穀物利用によるエタノール製造に替わるものとして、木材からエタノールを製造する事業が研究段階から実用化段階に入ろうとしています。
 しかし、これらのバイオマス事業には、いくつかの問題点があるようです。ICON49
 企業の重油や灯油の代替え燃料としては、木材を集積した上で大形の粉砕機でチップ化した木材チップを使用することが主流となっています。それは、集積された木材を25ミリ程度に破砕したものを、乾燥するだけで、すぐに商品化することができるからです。その点では、木材をオガ粉にしてから圧縮加工する木質ペレットは、価格の高い商品となっています。CO2削減(カーボンニュートラル)と燃料費削減を求められる企業は、これらの木材チップの利用が、コスト的にも有効であると考えているのです。このために、木材の市場では、木材チップが不足し価格の上昇を招いています。
 これだけを見れば、木材の市場が拡大し価格も上昇しているので、これまで低迷していた森林従事者にとっては、朗報であるかのように思われます。しかし、この傾向には、重要な問題が抜け落ちています。
 1970年代の第一次オイルショックのときにも、木質チップ、ペレットなどの代替え燃料が注目された時期がありました。その時代には、全国で木質ペレットが28,000トン程度生産され、エネルギーの多角化が進むかと思われていました。けれども、その後の原油価格の低下によって、経済的要因から木質のバイオマス事業は、あっというまに消滅していきました。ところが、ヨーロッパや北米では、原油価格に翻弄されることなく、バイオマス事業やエネルギーの多角化がすすめられてきました。しかも、今日のヨーロッパでは、木質チップと木質ペレット事業が共存しています。それは、同じ木質燃料であっても利用目的によって木質バイオマスの使い分けをしているということなのです。(長くなるので、詳しいことは後日報告します。)
 今日の日本のバイオマス事情は、石油価格に翻弄されたまま、30年前の状況を繰り返そうとしているように思えてなりません。そもそも日本国内で消費されている化石燃料は、莫大な量であり、これらを木質バイオマスで代替えしようとすれば、日本の森林資源は、数年で失われてしまうことになるでしょう。森林資源だけでは、石油や石炭の代替えにはならないのです。そのうちに石油の価格は、またまた!face07変動するでしょう。バイオマス燃料事業は、市場経済に任せるだけでは淘汰されてしまうことを、歴史は教えています。今、バイオマス事業には、社会的事業としての戦略が求められているのではないのでしょうか。icon22
 地域発展研究センターは、バイオマス事業として、木質ペレットを主要な商品として市場に供給しようとしています。今なぜ木質ペレットが必要なのでしょうか。それは、利用目的によってバイオマスの使い分けが必要な状況にあると考えているからです。つまり、バイオマス事業の将来的な展開を考えれば、既存のインフラに適合するためには、木材のガス化や液体化が条件となる可能性が高いと考えられます。さらに、このような燃料事業からニュービジネスを生み出すためには、一般企業への普及の条件となる、各々の燃料の規格化が重要な課題となるのです。現状において木質チップは、設備投資の少ない有効なバイオマス事業かもしれません。しかし、この事業からは、ニュービジネスを起こすことは困難であるように思われます。既存の事業所(特に都市部の事業所)では、工場用地や燃料の搬入に問題をかかえています。そこでは、木質チップのようなカサばる燃料の貯蔵は不向きかも知れません。その点では、木質ペレットは規格化(密度が高い)されているため省スペースでの貯蔵が可能であり、燃料サイロから離れたボイラーなどにも簡易な搬送システムで対応できる可能性があるからです。
 地域発展研究センターがあえてコストのかかる木質ペレット事業を進めるのは、このように燃料の規格化によって、新たな利活用や周辺機器の開発を創出する可能性をもっていると考えているからです。φ6ミリ、長さ15ミリという規格化は、これらのサイズに合うニュービジネスを起こすかもしれません。このような産業としての広がりがあってこそ、日本の森林資源は、将来的にも利活用される資源となりうると確信しているからです。ICON59
 ちょっと言いすぎかもしれませんが、私たちの事業への思いとバイオマス事業全体への心配事を書かせていただきました。face07
φ6ミリ、長さ15ミリの木質ペレットは、ビルのエアコンに使えるようになりました。
いっそのこと、PCとかケータイとかも動かせない?セルロース→(C6H10O5)n→水素がいっぱいICON45
合同会社 地域発展研究センター 大村陽一  

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2008年02月29日

舞鶴市と地域医療




舞鶴市民病院HPより

 本年2月1日に舞鶴市にある舞鶴市民病院を訪問しました。この舞鶴市民病院のある東舞鶴には、他に国立病院機構舞鶴医療センターと舞鶴共済病院があり、西舞鶴には舞鶴赤十字病院があります。近年地域医療は、地方自治体の累積債務と財源不足から医療・福祉にかかわる予算などの削減を進めてきました。しかし、舞鶴市民病院は、予算不足と医師不足の問題だけでなく、総合病院の過剰という問題が加わるという状況にありました。たしかに、今日の舞鶴市を考えるとこの4総合病院体制は、ベッド数などの施設的な面からみると過剰であるといえます。舞鶴市の人口は、本年2月1日の推計人口が90、415人となっています。けれども京都の北部地域は、住民の高齢化だけでなく、人口も減少傾向にあり、この舞鶴市でも人口の減少傾向が顕著となっています。その人口減少の原因には、地域経済の低迷と、それに伴う住民の他地域へ流出ということがその要因の一つではないかと考えられています。
 しかし、その一方で、重要な住民サービスのひとつである医療福祉では、過剰な医療施設の統廃合という、本来であれば都市機能の核となるべき施設が未利用な状態のまま消滅しようとしています。確かに国レベルでの経済状況では、地域医療の不採算部分門の削減は当然であるように思えます。けれども、これらの地域の住民は高齢化しており、介護を含めた福祉全般のニーズは、高まっているのではないのでしょうか。医療費の削減は、国、地方における歳出削減の重要なテーマではあります。しかし、地域医療・福祉の現場では、やがて訪れるであろう高齢化と福祉の崩壊という、より差し迫った危機感に包まれているのです。
         「将来、ベットは不足するかもしれない」
 短期的な地方財政の健全化という問題においては、これらの不採算部門の統廃合は必要であるのかもしれません。しかし、長期的な地域社会の再生という立場から考えれば、不採算部門の切り捨てだけが、はたして有効な都市政策としての手段であるのかどうか、再考する必要があるように思われます。
 この問題は、舞鶴市だけでなく、先の京都市の京北町についてもいえることでしょう。
 地域の再生には、地域再生のための長期的な戦略が不可欠だと考えます。地域社会の持続的発展は、社会構造の革新に必要な「人・業・物」を、どのようにして創造し、確保していくかということにあるように思えます。

    「あなたは、これから誰と生きていきますか」

 地域社会に生きる私たちは、生き残るために「どこで誰と生きていくのか」という選択を迫られているのかもしれません。

合同会社 地域発展研究センター 大村陽一 2008.2.28  

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2008年02月29日

地域資源を利活用した地域の活性化とは


疲弊する林業とコミュニティ

 今日、京都府の林業は、産業としての基盤を急速に失っています。多くの林業従事者は、現在樹齢60年を越える木を伐採しないそうです。それは、伐採後の運び出しや製材の費用を考えると赤字になってしまうからです。この北山では、戦後植林された木を、丁寧に枝打ちなどの作業を重ねてきたにも拘らず、収益の見込みがないために杉を放置する以外に手立てがない状況に陥っています。北山では、平成17年度に12万本の杉が切り出されたのですが、18年度には4万本までに減少しているそうです。京都市内から僅かに20km離れただけの、これらの林業に従事する集落は、限界集落に近づきつつあるようです。
 しかし、これらの問題は、林業の衰退ー産業構造の変化では片付けられない状況を出現させています。この清滝川上流地域では、間伐材や樹皮が山に放置(堆肥化?)されており、いずれ大雨が降れば大量の流木や土石流を都市に向けて流失させることになるでしょう。また、山が荒れるだけではなく、放置された堆積物による火災などの危険が拡大されているといえます。
 当研究所では、これらの問題について北山の人々ともに、さまざまなコミュニティビジネスを始めています。具体的な各事業の生産拠点を北山に置くために用地の取得に向けて活動しています。  

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